大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所宮崎支部 平成11年(ネ)23号 判決 2000年2月01日

控訴人兼附帯被控訴人

宮崎県

右代表者知事

松形祐堯

右訴訟代理人弁護士

佐藤安正

加藤済仁

右指定代理人

岩﨑武

外七名

被控訴人兼附帯控訴人

堀内希男

被控訴人兼附帯控訴人

堀内安子

右二名訴訟代理人弁護士

松田公利

松田幸子

池永満

小林洋二

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  附帯控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。

三  控訴人兼附帯被控訴人は、被控訴人兼附帯控訴人らに対し、それぞれ金二五九四万三三六六円及びこれに対する平成二年一二月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被控訴人兼附帯控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その二を控訴人兼附帯被控訴人の、その余を被控訴人兼附帯控訴人らの各負担とする。

六  この判決は、被控訴人兼附帯控訴人ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

(以下、控訴人兼附帯被控訴人を「控訴人」と、被控訴人兼附帯控訴人らを「被控訴人ら」と、被控訴人兼附帯控訴人堀内希男を「被控訴人希男」とそれぞれいう。)

第一  控訴人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。本件附帯控訴(当審で拡張した請求及び選択的に追加した請求も含めて)をいずれも棄却する。附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは、「本件控訴をいずれも棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、附帯控訴として、「原判決を次のとおり変更する。控訴人は、被控訴人らに対し、それぞれ金三八二三万三一三六円及びこれに対する平成二年一二月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求めた。

第二  事案の概要は、次のとおり、付加、訂正、削除するほか、原判決事実及び理由「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決四頁九行目の「債務不履行」の次の「及び不法行為」を加え、一〇行目の「たとして、別表記載の」を「、更に、⑤被控訴人らに説明・承諾のないネクロプシー並びに違法収集証拠による不当な訴訟追行及び不当な控訴を行い、被控訴人らに一層の精神的苦痛を与えたものであり、かつ、それらは一連の不法行為であると主張して、選択的に、債務不履行ないし不法行為に基づき、」に改め、原判決添付の別表を削除する。

二  原判決七頁七行目の「証人甲野、」の次に「原審証人乙山、」を、九頁七行目の「乙」の次に「一、」をそれぞれ加える。

三  原判決一一頁二行目の次に改行して次を加える。

「控訴人は、原判決の手術時期に遅れがあるとの判断を批判しているが、原判決の判断は、原審鑑定人佐伯医師及び原審証人安永医師の判断に副ったものであって、控訴人の批判は当たらない。」

四  原判決一五頁二行目の次に改行して次を加える。

「原判決が、誠也の死亡原因を敗血症と判断したのは相当である。

誠也の症状が敗血症のものとして医学的に説明できることは原審証人安永医師の判断から明らかであって、原審鑑定人佐伯医師も安永医師の意見には医学的矛盾はなく、誠也の死亡を敗血症で説明することは可能であるとしている。また、意識障害が敗血症による高熱の持続でも起こりうることは佐伯医師も認めていること、証拠上解熱剤に反応しないことが敗血症を否定するものではないこと、医事記録が不十分であるからウォームショックの有無を正確に認定することはできないこと、本件ではDIC(播種性血管内凝固症侯群)判定のための必要な検査が行われていないこと、控訴人がDICを否定するものとして挙げる血小板数の点については、血小板数が減少しない以上、敗血症で死亡しないとの医学知見は認められないこと、手術段階での腹腔内の誠也の状況からすると、敗血症による早期死亡がありうること、誠也の症状はライ症侯群の要件を満たすものでないことなどからすると、控訴人の主張はいずれも理由がない。」

五  原判決一五頁八行目の冒頭から一〇行目の末尾までを次に改める。

「(三) 誠也死亡後の控訴人の対応

(1)  説明・承諾のないネクロプシー

控訴人担当医師は、誠也の死後間もなく両親である被控訴人らに説明することも、同意を得ることもなく誠也の肝細胞を採取、保存し、宮崎医科大学の病理組織学的診断を受け、その結果も被控訴人らに説明していない。

これは、少なくとも死体解剖保存法一七条の死体の全部又は一部を標本として保存することに該当し、遺族の同意を欠くから、違法といえ、控訴人は、右行為によって、被控訴人らの精神的苦痛を更に増大した。

(2)  違法収集証拠による不当な訴訟追行

控訴人は、右違法に採取・保存された肝臓の標本の組織学的診断結果を、原審審理中に文書化し、裁判資料として提出したところ、右証拠は違法収集証拠であり、これを援用して訴訟追行すること自体許されない。加えて、内容的にも正確な病理組織学的診断をなすには当該標本では分量が不十分で、証拠価値もないものである。このことは控訴人自身が容易に認識できたのに、「病理組織学的診断」であるとの一事をもって一見客観的証拠であるかのような誤解を意図的に作り出し、高度な医学的知見をもって公正になされるべき鑑定をも誤らしめ、本来であれば全く不要な裁判上の対応等を余儀無くさせるなどして裁判の長期化を招き、被控訴人らに許し難い物心両面の負担を余儀なくさせるなど、被控訴人らに対する精神的経済的損害をさらに拡大した。

(3)  不当な控訴

原判決では、右病理組織学的診断の援用を前提とする控訴人の主張はことごとく排斥され、本来であれば、原判決時において控訴人は県南地区の公立病院として真摯かつ深い反省をしてしかるべきであるのに、控訴人はあくまで自己免責にこだわり、自己の正当性を主張すべく本件控訴に至ったが、その控訴は根拠がなく、不当であり、被控訴人らの精神的損害は更に増大された。

(4)  違法なネクロプシーとその結果の不当な援用を手段とする不誠実かつ悪質な免責のための不当な訴訟追行等一連の控訴人の行為は、医療過誤により通常発生する損害に加え、これを更に拡大させたものであり、控訴人は被控訴人らに対し、不法行為、ないし、債務不履行責任に基づき、損害を賠償する責任がある。

(四) 損害

(1)  逸失利益

三九四六万六二七二円

455万1000円(昭和63年の産業計・企業規模計・学歴計の男子全年齢平均給与年額)×17.344(死亡時年齢三歳に対応するホフマン係数)×0.5(生活費控除率)=394万6272円

(2)  慰謝料

① 誠也自身 二〇〇〇万円

② 被控訴人ら固有 各五〇〇万円

被控訴人らは、わずか三歳八か月の誠也を控訴人の極めて杜撰な注意義務違反によって奪われたもので、その悲しみ、悔しさは筆舌に尽くしがたいものがあるが、更に、控訴人の、被控訴人らの精神的痛手を逆なでするような、右(三)記載の不誠実かつ違法悪質な責任逃れの行為によってなお一層悲しみ、悔しさを大きく深くされたものであるから、右本件の特殊な事情に鑑み、被控訴人ら両親固有の慰謝料はそれぞれにつき右額が相当である。

なお、原判決は、債務不履行について、両親である被控訴人ら固有の慰謝料を否定したが、債務不履行に起因する生命侵害についても、不法行為に関する民法七一一条が準用されるべきであって、特に、救命そのものが黙示的に契約内容となっている本件のような場合には、契約関係に立たない不法行為の場合にすら認められる損害は契約不履行にも当然認められるべきである。

(3)  葬儀費用 一〇〇万円

(4)  弁護士費用 六〇〇万円

(5)  請求額

被控訴人ら各三八二三万三一三六円計算式((1)+(2)①+(3)+(4))÷2+(2)②

なお、債務不履行に基づく請求においても、遅延損害金の算定起算日については、本件のような生命侵害の場合においては、誠也死亡時から遅滞に陥っていると解すべきである。」

六  原判決一六頁末行の次に改行して次を加える。

「原判決は、控訴人に手術時期の遅れがあったと判断し、その前提として、幼児では急性虫垂炎と診断したらその時期が手術時期である旨認定しているが、その判断、認定は誤りである。一般小児外科の臨床の場では、少なくない臨床医は、筋性防御・反動痛が認められた時期を手術時期と判断しており、現実に手術された結果は虫垂が穿孔している割合が高いところ、本件では、担当医であって、最終的に手術の要否を判断すべき甲野医師が、一五日に筋性防御・反動痛の所見を認めていないから、その時期に手術を行う必要はなく、誠也の手術が決定されたのは、虫垂の穿孔があった一六日の朝方の一、二時間後であり、右手術が実施されたのが、汎発性腹膜炎に至らず、敗血症も発症していない段階であったことからすると、手術時期が遅れたとはいえない。」

七  原判決二一頁一行目の次に改行して次を加える。

「(3) 原判決は、誠也は敗血症によって死亡したとするが、血圧低下が明らかとなった平成二年一二月一七日午前六時以前の昏酔などの中枢神経障害は敗血症によって説明できないことを無視している点、反対証拠があるのに原審証人安永の証言のみによって敗血症でも解熱剤に反応しない場合があると認定している点、ウォームショックを否定すべき証拠を無視している点、血小板の数値からすると同月一七日午前五時四五分頃までDICが発症していなかったと認定すべきであるのに、その発症の有無が不明確であると認定している点、そして、そのような認定をしながら、DICが発生していないことを前提として説示している部分がある点、敗血症性ショックにはDICが必発であるのにそれがないのに敗血症性ショックと認定した点などに理由不備、齟齬がある。

また、手術前に敗血症は発症しておらず、手術時に入念な洗浄をし、腹腔内に抗生剤をまき、手術後には抗生剤を経静脈的に投与しているので、手術後に敗血症を発症し、そのショックで手術後約二八時間で死亡することは医学的に考えられないのに、原判決はそのような認定をしている点も誤りである。そして、本件では、原因菌の培養をしていない以上、臨床症状・所見から敗血症の蓋然性が高いといえるかどうかを検討すべきであるのに、原因が敗血症の根拠としているのは、一七日午前一時頃からの中枢神経障害のみであって、本件では敗血症あるいはそのショックとして一般的に認められる重要な症状・所見がなく、他方でライ症侯群ないし急性脳症として症状、所見が説明できる以上、それらが発症したと考えるのが医学的に相当であるのに、敗血症と判断したのは誤りである。

原判決は、ライ症侯群の発症の可能性が低いことなどを根拠に控訴人がライ症侯群の蓋然性が高いことを立証すべきであるとするが、発症率でなく、具体的な症状、所見から検討すべきで、原判決は立証責任を誤ったものであるし、光学顕微鏡の所見や症状の経過によれば、誠也の死亡はライ症侯群を十分疑わせるもので、原判決の判断はこの点でも誤りである。

(三) 被控訴人らの主張(三)(1)のうち、控訴人担当医が、誠也の死後間もなく、両親である被控訴人らに事前の説明及び同意なく、誠也の肝細胞を採取し、宮崎医科大学の病理組織学的診断を受けたことは認めるが、それらは死体解剖保存法上の解剖ないし標本の保存に該当し違法であるとの主張は争い、同(2)、(3)は争う。

甲野医師は、平成二年一二月一七日午前八時三〇分頃、誠也がライ症侯群である可能性を強く疑い、被控訴人らにそのことを伝え、誠也の死亡直後、誠也の死因を追及するために乙山医師と協議し、約一〇センチメートルの長さの針を穿刺して少量の肝組織を採取した。

右肝組織採取に際し、事前に被控訴人らの同意等は得ていなかったが、死亡前からライ症侯群の疑いについては甲野医師から説明し、また、宮崎医科大学の組織検査に基づく説明を同医師から被控訴人希男に行った。採取時には、本件が紛争になることなど全く乙山医師等の念頭になく、本件採取の目的は純粋に誠也の死因の解明であり、これは本件診察行為の一端でもあった。この肝組織は被控訴人らも控訴人とは見解を異にするものの、誠也の死因の検討に資しているものである。

本件採取について、担当医等には違法性がない。

(四) 被控訴人らの主張(四)は争う。」

第三  当裁判所は、被控訴人らの不法行為に基づく請求を主文の限度で認容すべきと判断するが、その理由は、次のとおり、付加、訂正、削除するほか原判決事実及び理由「第三 争点に対する判断」記載のとおりであるからこれを引用する。

一  原判決二一頁三行目の「甲一、」の次に「一六、一七、」を、同行の「二五、」の次に「四六、」を、同行の末尾に「一二、」を、同六行目の「人」の次に「、当審被控訴人希男本人」を、同七行目の「1 」の次に「一〇日、」を、同八行目の冒頭に「誠也は、一〇日夕方から腹痛を訴え、食事もとらず、発熱したので、午後一〇時頃津曲医師を受診し、座薬が処方された。」を、二二頁一行目の「す。」の次に「二歳から六歳の正常値は五〇〇〇ないし一万三〇〇〇」をそれぞれ加える。

二  原判決二二頁五行目の「際の」の次に「誠也側の訴えは、昨夕よりの発熱、腹痛、嘔吐で、誠也側が持参した津曲医師作成の紹会状には、右1記載の症状が記載されており、控訴人病院受診時の」を加え、二三頁六行目の次に改行して次を加える。

「なお、この日の誠也は、食事は摂っておらず、飲物はポカリスエットを小さなコップで一、二杯、ヤクルト一本、ジュースコップ一杯未満程度を摂っていた。」

三  原判決二三頁八行目の次に改行して次を加える。

「誠也は、一二日午前六時過ぎころ、目を覚すなり、被控訴人らに強く腹痛を訴えた。その説きの誠也の様子は、歩くことはできたが、すこし腰をかがめる痛がり方をしていた。」

四  原判決二四頁五行目の「同医師は、右診察時、」を「誠也側は、同医師に朝は前屈みであった旨を伝えた。同医師は、右診察時、誠也が泣いていやがったため、」に改め、二五頁八行目の次に改行して次を加える。

「この日の誠也は、食事は摂っておらず、飲物はジュース五〇CC、ヤクルト一本、ポカリスエットコップ一杯未満程度を摂っていた。」

五  原判決二六頁六行目の「可能であった。」を「可能であって、その所見は、それまでの経過を併せると、腸管の麻痺性変化を窺わせるもので、虫垂炎に伴う所見の一つであった。しかし、同医師は、右写真から大腸ガスの存在の所見は得たが、それは小児の場合は通常のことで、虫垂炎を窺わせるものではないと判断した。」に改め、同八行目の「大差がない」の次に「と考えた」を、同九行目の次に改行して次をそれぞれ加える。

「なお、前日予定していた小児科の診察の指示はされなかった。

誠也は、帰宅後も水溶性の下痢をし、何度か身体をくの字に曲げて歩いていた。なお、この日の飲食は、食事は炒飯少々、飲物がシュースコップ一杯未満程度であった。」

六  原判決二七頁三行目の冒頭から四行目の末尾までを次に改める。

「一四日、誠也は、前屈みに歩き、三九度の発熱、下痢(一〇回程度)の症状を呈していたが、痛みの訴えがあまりなく、被控訴人らは状態は悪くないと判断し、甲野医師に翌々日の受診を指示されていたこともあって、受診しなかった。

また、この日の飲食は、食事がごはんスプーン三、四杯、飲物がポカリスエット等合計コップ一、二杯程度であった。」

七  原判決二七頁八行目の「腹痛があること」の次に「、三九度の発熱があること」を加え、同一〇行目の「。」を「、」に改め、二九頁一行目の末尾に「この時、誠也には、髄膜炎の所見である項部硬直はなかった。」を、同六行目の「明確でない」の次に「と考えた」を、同一〇行目の次に改行して次をそれぞれ加える。

「誠也は、帰宅後下痢をした。その日の飲食は、食事が炒飯子供茶碗半分、飲物がポカリスエット湯呑み一杯、ジュースコップ一杯未満程度であった。」

八  原判決三〇頁一行目の「一六日」の次に「、就寝していた誠也は、午前七時頃、ばたばた転げ回り、腹痛(激痛)を訴え、激しい下痢をし、その後吐き気を訴え、嘔吐もした。そこで、同日」を加え、同三行目の「嘔吐があり、」を「嘔吐があるというものであり、」に改め、九行目の「五六〇〇で」の次に「、白血球像はMYE一、STAB三、SEG一〇、LYM八〇、MON三、ATYLY二で正常抹消血には見られない幼若型の白血球像及び異型リンパ球が見られ、リンパ球が相対的に増大しており、」を加える。

九  原判決三二頁八行目の「午前一〇時二〇分」の前に「呼吸三〇回/分、」を加え、同九行目の「あった。」を「あった(幼児の正常な検査数値について、収縮期血圧は九〇ないし一〇〇あるいは九二ないし一二〇、拡張期血圧は六〇ないし六五、あるいは四八ないし八八とする文献があり、脈拍数は九〇ないし一〇〇、あるいは一一〇ないし一三〇とする文献があり、呼吸数については二〇ないし三〇とする文献がある。)。」に改める。

一〇  原判決三三頁四行目の「開始された。」の次に「手術の際は、約八センチメートル傍腹直筋切開にて開腹し、回盲部を中心に目視した上、小腸を引き出し目視し、術創から直接目視できない部分については、ガーゼで拭いて膿の有無を確かめた。」を加え、七行目の「あった。」を「あった旨がカルテに記載されている。」に改め、八行目の「切除された。」の次に「なお、虫垂内に糞石が一つあった旨がカルテに記載されている。」を加える。

一一  原判決三四頁一〇行目の次に改行して次を加える。

「(7) 手術後、被控訴人らは、甲野医師から、虫垂内にあったという糞石は見せられたが、切除した虫垂自体は見せられなかった。

(8) なお、乙二(外科入院診療録等)には、誠也の腹膜炎の程度に関して、入院時及び手術前診断として「限局性腹膜炎」、手術後診断として「汎発性腹膜炎」、総合診断として「限局性腹膜炎」との記載がある他、麻酔記録には術後診断として「汎発性腹膜炎」、退院時要約には「限局性腹膜炎」、経過及び処置欄には「汎発性腹膜炎」、「虫垂炎の穿孔」、「膿は限局化されていた。黄色透明の腹水+」、問題リストには「汎発性腹膜炎」との記載があり、原審証人甲野は、手術後診断として汎発性腹膜炎と記載したのは保険請求との関係であって、病態としては限局性腹膜炎であった旨供述している。

(9) 甲野医師は、右手術終了時に急患があったため、外科病棟を回った後、数時間を要する手術に立会った。」

一二  原判決三五頁七行目の「みられなかった。」を「みられず、顔色はよくなった。」に改め、同九行目末尾に「なお、主に誠也の状況を観察していた柳田看護婦が当日病棟の責任者で回診をする必要があったこともあって、午後二時三〇分(なお、原審証人柳田の証言によると、看護記録上の午後二時三〇分から午後三時三〇分の時間帯は、実際の時間より一時間遅れた時間が誤記されたと認められる。)から午後四時の間の誠也の状況は看護記録に記載されていない。」を加え、三六頁一行目の「ボルタレンの挿肛がなされた。」を「かなりの高熱に対し、ボルタレンの挿肛がなされた。看護記録上はこの時間に四肢冷感等の記載はない。」に、同三行目の「七六/二八」を「聴診、触診で測定できなかったため自動で測定したところ七六/二八とかなり低下しており」にそれぞれ改め、三九頁二行末尾に「呼びかけに対し、お腹痛くない、寒くないと応えるが、全く眠ろうとしなかった。」を、同五行目の「八六ミリリットル」の次に「と、乏尿の状態で、この時点では脱水状態といえ」をそれぞれ加え、四〇頁八行目の「なった。」を「なったが、対光反射はあった。」に改め、同九行目の末尾に「同四〇分に動脈血が採血され、同四六分には軽度の喘鳴があった。」を同一〇行目の「ダントリウム」の前に「悪性高熱症の特効薬である」を、同末行の末尾に「、脈拍は一六〇台、呼吸数は五八」を、四一頁八行目の「五三であり、」の次に「脈拍は一八〇から一九〇台、呼吸数は五六であった。」を、四二頁一行目の末尾に次に「同三〇分、四肢末端の冷感が強くなっており、手足爪のチアノーゼ+、口唇チアノーゼ+であった。」をそれぞれ加え、同末行の「五六九であった。」を「五六九であって、白血球数が二万〇四〇〇、ヘマトクリット34.9、血小板数33.9で、白血球像についてはMYE二、MET一、STAB一二、SEG一〇、LYM七一、MON一、ATYLY一で、好中球の核の左方移動の他、正常抹消血には見られない異型リンパ球が見られ、リンパ球が増大していた。」に改め、四三頁三行目の「結果、」の次に「腫瘍、出血」を加える。

一三  原判決四三頁九行目の「誠也」から末行の末尾までを次に改める。

「甲野医師は、誠也の死亡前の一七日午前八時三〇分ころから、誠也の右意識障害、高熱等の症状はライ症侯群によるのではないかとの疑いをもったので、乙山医師と相談して、誠也の死亡後、遺体に針を穿刺して、肝組織を採取し、宮崎医科大学の病理学教室にその検査を依頼した。

甲野医師、乙山医師等控訴人病院は、被控訴人らに右肝細胞の採取及びその検査について、その前後に何らの説明もせず、同意も得なかった。

また、平成三年一月頃、被控訴人らが乙山医師、甲野医師等控訴人病院側に死因の説明を求めた際、被控訴人病院側はライ症侯群による疑いがあるとの話をしたが、右肝細胞の採取及びその検査の実施を被控訴人らに告げておらず、被控訴人らが初めてそれらの事情を知ったのは本件訴訟に至ってであった。」

一四  原判決四四頁二行目の「一一、一四」を「一一ないし一四」に、同行の「二八、」を「二八ないし三二、」にそれぞれ改め、同三行目の「七、」の次に「八、」を「二四、」の次に「三三」を、「同佐伯」の次に「、同新宮」をそれぞれ加える。

一五  原判決四五頁一〇行目の「そして、」の次から四六頁二行目の「特に」の前までを「急性虫垂炎における手術適応については、一般論として、虫垂炎と判断すれば適応という見解と臨床診断で虫垂炎と診断されても化学療法などの保存的治療で治癒するものがあるから、それを見極めてから手術するとの見解があるものの、後者の見解を採る者も原則は穿孔に至る前に手術をすべきであるとしており、」に、同九行目の「基本であり、」を「基本であるが、特に幼児の場合には、主訴が不明確であること、診察に適切に応じることが困難であることなどから、腹部理学的所見を把握することが困難であって、安静、睡眠時に繰返し診察することが大切であるとされており、後日手術で虫垂炎が確認された幼児について筋性防御が不明確であった場合もあること及びその割合が三割程度であったとの統計が医学書で指摘されていたことからすると、」に、四七頁二行目の「用いない。」を「用いないとの見解も少なくなく、用いる場合には症状、所見の修飾も十分考慮する。」にそれぞれ改め、同六行目の「入院させ、」の次に「異常所見がなくとも、摂食の程度、熱の程度、嘔吐の回数等を勘案して入院の要否を決める。」を加える。

一六  原判決四八頁八行目の「著明となり、」の次に「エックス線写真に虫垂炎を窺わせる異常所見があったこと、」を加え、同一〇行目から一一行目にかけての「反跳疼痛はなく、筋性防御は肯定も否定も出来ないような状態であったが、」を「甲野医師の判断では、反跳疼痛は認められず、筋性防御についても肯定も否定もできないとされたが、」に改め、四九頁二行目の末尾に「甲二八、四四、原審鑑定の結果、原審証人乙山、甲野、佐伯、安永の各証言によって認められる各医師の虫垂炎発症時期及び鑑別可能時期に関する判断(但し、甲野医師及び乙山医師については発症時期に関する判断部分のみ)も考慮すると、一三日には甲野医師には腹部理学的所見は把握されなかったが、一一日以降の症状の経過並びに白血球数増多及び相対的減少、一三日の核の左方移動及び腹部エックス線所見等の補助的検査結果はいずれも虫垂炎を強く疑わせるものであったことからすると、一三日の時点で入院させ、経時的に腹部理学的所見の把握等の経過観察に努めるなり、小児科医へ相談するなどして腹部理学的所見の把握に努めることが望ましいといえるばかりか、現実の診断経過を前提としても、」を加え、五行目の「判断していたこと」の次に「(一五日の他の症状及び検査結果並びに翌一六日に穿孔性腹膜炎を伴う急性虫垂炎の発症が確認されたこと、原審証人甲野、同乙山、同新宮の各証言、原審鑑定の結果と筋性防御及び圧痛点の意義を合せ考えると、一五日の腹部理学所見の評価は新宮医師が甲野医師に比べ正確であったといえ、一般的に幼児の腹部理学的所見の把握は困難であるといわれているのであるから、小児外科を専門としていなかった甲野医師としては、急性虫垂炎か否か及びその手術の要否の判断に際しては、小児科医として豊富な経験を持つ新宮医師の具体的な腹部理学的所見の診断・見解を十分考慮に入れた上決するべきであったといえる。)」を加え、同七行目の「急性虫垂炎」から一〇行目の「特に、」までを削除する。

一七  原判決五〇頁七行目の「穿孔して」から九行目の「債務不履行はない」までを「虫垂炎のうちには保存的治療で治癒するものも少なくないから、虫垂炎と診断された後でも、明らかな筋性防御・反動痛が認められるまでは手術適応と判断すべきでないとの見解を採る臨床医もあり、本件では、担当医で、最終的に手術の要否を判断すべき甲野医師が一五日には筋性防御・反動痛の所見を認めていないからその時期に手術を行う必要はなく、誠也の手術が決定されたのは、虫垂の穿孔があった一六日の朝方の一、二時間後で、右手術が実施されたのが、汎発性腹膜炎に至らず、敗血症も発症していない段階であったことからすると、手術時期が遅れた過失はない」に改め、同一〇行目の「甲三は、」の次に「症状が軽度である症例を想定するもので、前記認定の誠也の症状とは症例を異にするばかりか、」を加え、五一頁末行の次に改行して次を加える。

「なお、確かに、控訴人が主張するとおり、急性虫垂炎の手術適応時期について、腹部理学的所見、特に、筋性防御の有無に重きを置く見解は有力で、控訴人が指摘する乙七、三三ないし三五にもその旨の記載があるが、同時に、前記のとおり幼児の腹部理学所見の把握は困難であるといわれており、そのことは控訴人が指摘する右乙各号証にも記載されていたこと、手術によって虫垂炎が最終的に確認された症例でも筋性防御が把握できなかった症例があることは当時の医学書でも指摘されていたこと、現に本件においては前記のとおり一五日の筋性防御等の腹部理学的所見の判断が甲野医師と新宮医師で大きく異なり、新宮医師の診断がより正確であったと判断できることを考慮に入れると、小児の診断を専門としない甲野医師の診断では筋性防御が明確に把握できなくとも、圧痛などの他の理学的所見並びに症状の経過及び補助的診断である各種検査から虫垂炎の発症を強く疑うべき所見がある場合には、自らの筋性防御の判断に固執することなく小児科医の判断等も考慮して総合的に手術の要否を判断すべきことは当然であって、控訴人の主張は理由がない。

また、控訴人は手術時期の遅れがない理由として虫垂穿孔したのが一六日の朝で、手術時は汎発性腹膜炎に至っていなかった旨主張するが、虫垂穿孔時期を確定するに足りる証拠はなく、手術時の腹膜炎の状態については汎発性腹膜炎との言葉で表現するか否かはさておき、後記のとおり手術時には腸管内細菌が誠也の腹腔内全体に及んでいたと認められ、この点についての控訴人の主張も採用できない。」

一八  原判決五二頁三行目の「二七」から四行目の「四一」までを「九、一一、二七、二八、三三、三四、三八、三九、四一ないし四四、乙一一、二五、二八、三一ないし三三、四〇、四一、四九」に改め、同一〇行目の末尾に「急性汎発性腹膜炎の臨床症状としては、顔貌が発症と同時に主に疼痛により苦悶状を呈し、顔色も蒼白となることが多く、嘔吐、悪寒戦慄を伴い、三八度以上の発熱が見られ、呼吸が浅く、頻回となる。検査所見としては、白血球は増多あるいは急激に減少して、核の左方移動が見られる。局所症状としては腹痛が必発で、圧痛、腹壁緊張、食思欠損、腹部膨満などの消化器症状を伴う。診断の際には、右の諸症状に関する問診、全身所見、局所所見、血液検査の結果を総合して判断するが、最も有力なのは、エックス線検査で、それによって、腸内ガスが腹腔に漏れ、横隔膜下に貯留する像(遊離ガス像)が見られた場合には、消化管穿孔の診断は確実である。」を、同末行の「菌血症」の次に「(循環血液中に細菌、真菌の生菌がいる状態。)」を、五三頁二行目の末尾に「菌血症が全身性感染症である敗血症になるには、本来①体内の感染巣、自己の腸管などから病原菌が持続的ないし間欠的に循環血中へ侵入し、②侵入した病原菌が血液中、あるいは血管内皮、心内膜の組織中などで増殖し、③循環血中への侵入と増殖による血液中の病原菌療が、好中球などの免疫殺菌機構による除去能を上回ることの三条件が必要であって、感染防御機能が正常の個体ならば、病原性の強い細菌が大量に持続的に血中に侵入する場合に敗血症となるが、血中に侵入した菌が少量の弱毒菌であっても、栄養不全などによって個体が免疫不全の状態となっている場合には、敗血症が発症し、重症化する。」を、同四行目から五行目にかけての「より細菌性ショックの状態を呈する。」を「よっては菌血症から敗血症に至る。」に、同六行目の末尾に「その発生機序について定見はない。」を、同七行目の「四肢冷感」の前に「重要器官の血流維持のため生存に直接必要でない末梢の循環が犠牲にされることによって生じる末梢循環不全による」を、同九行目の「白血球の異常」の次に「(白血球数は増加または減少し、核の左方移動が見られ、好中球が増多する。しかし、重症敗血症に至ると骨髄機能が消耗し、好中球が減少し、相対的にリンパ球が増多する。)」を、五四頁一〇行目の冒頭に「一般的な症状として」をそれぞれ加え、同一一行目の「現象である。」を「現象であるといわれている。しかし、敗血性ショックの中枢神経に関する初期症状として重要な所見は、不安、不機嫌、不眠、興奮などで、進行すれば傾眠、混迷、錯乱、昏睡となり、脳の循環不全の症状を呈するとの文献(乙二八の三四〇頁)もある。」に改め、五五頁六行目の次に改行して「⑦なお、敗血症ないし敗血症性ショックによる細菌の増殖ないし循環不全などによって原因巣以外の臓器が犯され、多臓器不全(MOF)に至り、DICが引き起こされることも少なくない。各臓器ごとに症状を見ると、心臓に関しては、心拍出量低下、冠不全、不整脈、心筋障害も現れ、心内膜炎を合併することもある。脳に関しては、前記の中枢障害の他、幼若児では敗血症に髄膜炎を伴う場合が多く、脳腫瘍、出血、血栓形成が発生すれば病状は更に複雑化する。肺に関しては初期は呼吸性アルカローシスで換気亢進が起こるが、時の経過により代謝性アシドーシスとなり呼吸不全の症状を呈し、レントゲン上では雲状の陰影またはびまん性浸潤像が出現する。腎に関しては、前記の乏尿の他、糖尿、蛋白尿、血尿、膿尿、腎障害、尿路感染などが認められる。膵、肝も虚血状態となって、解毒防御作用が低下する。」を、同九行目の末尾に「したがって、敗血症ないし敗血症性ショックを診断するためには、諸症状を総合的に判断して決することが必要であるが、その定量的診断基準として、医学書上には「ショックの診断として①収縮期血圧九〇以下の低下、②一時間当たり0.5ミリリットル毎キログラム以下の乏尿、あるいは不穏、意識障害、虚脱のある場合とし、これに感染症の診断として、③体内の感染巣あるいは菌血症発生母地の存在、④三八度以上の発熱の四条件のあったもの」を掲げ、また、「ショックの診断として本判決別紙のショックスコアを用いてもよい」とし、「感染症の診断としては血中より病原菌が検出されるなどすればより確実であるが、その検査結果を待つことなく、右記載の基準で診断してもよい。」というもの(甲三四の一六〇頁ないし一六二頁)、「一般的にみられる共通のショック症状の①蒼白で冷たくしめった肌、②頻脈と低血圧、③体温低下と四肢の冷感、④浅く速い呼吸、⑤無気力と意識レベルの低下、⑥筋力減退と反射の低下、⑦尿量の減少、⑧代謝性アシドーシスのうち、二項目以上が認められたら臨床的にはショックと診断してよく、これに、手術や臨床所見から感染巣の存在が確認され、悪寒、発熱、白血球増多症があり、血液、尿、浸出液などのいずれかに細菌を証明したショック患者は本症と診断してよい。」などというもの(甲三九の一一二頁ないし一一三頁)がある。しかし、進行が電撃性の場合の初期診断は困難であるといわれている。」をそれぞれ加える。

一九  原判決五五頁一一行目の「脱水は」の次に「検査値上」を加え、五六頁四行目の「認められ、」から七行目の末尾までを「認められるから、具体的に他臓器に障害が生じていたことを裏付ける証拠もない以上、本件手術前の段階で、誠也に敗血症が発症していたとまでは未だ断定できない。」に、同八行目の「しかしながら、」の次に「一六日午前七時頃以降の誠也の症状は前記の汎発性腹膜炎の臨床症状と一致している。また、」を加え、五七頁三行目の「腹水が」から四行目の「炎」までを「明らかな膿性とまではいえないとしても、炎症部、虫垂ないし腸管内から浸出ないし透過したと推認できる臭気のある腹水が約一〇〇ミリリットル認められているので、汎発性腹膜炎の状況ないし少なくともそれ」に改め、同六行の「長い」の次に「ので、虫垂炎が発症して長期間経過した可能性があること及び右腹水がある」を、五八頁二行目の末尾に「また、カルテ上も前記のとおり病名について汎発性腹膜炎と記載されている部分が少なくないことも、右認定を裏付けるものである。そして、これらの腹膜炎の程度についての判断の他、手術直前の検査値では著しい脱水や栄養状態の著しい悪化は明確ではないものの、一七日午前六時二〇分の血糖値からは栄養状態の著しい悪化が窺われ、原審証人安永は、同佐伯の各証言、甲二八、四四によって認められるトータルコレステロールの悪化は、ある程度の低栄養状態が続かかなければそのように下がらないこと、前記認定の一〇日以降の誠也の食事及び水分摂取状況並びに嘔吐及び下痢の状況からすると、誠也の手術時の脱水及び栄養状態の悪化は無視し得ない状態であって、免疫機能が低下した状態であったといえること、白血球及びその像の検査結果は、一時の数値に着目するのではなく、継時的な変化に着目すべきところ、その経過を検討すると、一二日には白血球数が一万九五〇〇まで増加していたが核の左方移動は認められず、一三日には白血球数が一万一二〇〇に減少し、核の左方移動が顕著となり、幼若細胞が認められ、その後一五日には白血球数は一万六二〇〇に増加したが核の左方移動が認められ、一六日には炎症が存在し、それが従前より悪化していることは明らかであるのに白血球数が五六〇〇にまで減じ、幼若細胞がわずかに存在したが、相対的にリンパ球が増加(リンパ球割合の増大)しており、一六日の時点の白血球減少は骨髄機能の消耗による好中球消費の亢進によるもので、相対的なリンパ球の増加はその現れと解することができ(乙一一、四九)、それらの経過によると、一一日から継続的に炎症が続き、一六日の時点では炎症が相当重症化し、かつ免疫機能が低下した状態に至っていたといえること、等からすると、手術時には腹腔内に腸内細菌が及び、菌血症の状態で、誠也は、敗血症の前駆的な段階に至っていたと認められる。」をそれぞれ加える。

二〇  原判決五八頁四行目の「手術前後」から六行目の「同時期ころからの」までを「手術時には既に腹腔内に腸内細菌が及び、菌血症の状態で、敗血症の前駆的な段階に至っていたと認められること、循環器障害として手術前後から頻脈が認められること、遅くとも一六日午後四時には体温が著しく上昇し、以降約三九度から約四一度の間を上下したこと、循環器障害を現す四肢冷感及び口唇チアノーゼが遅くとも同日午後五時四〇分から一貫して見られること(なお、手術中にも見られたが、術中クーリングされていたこと及び術後チアノーゼが一旦消失したこと、四肢冷感は午後二時二〇分には認められたがその後午後五時四〇分の前には看護記録上その記載がないからその間の有無は定かでないことからすると、手術後午後二時二〇分までの右各症状はクーリングによる可能性も否定できない。)、循環器障害として、遅くとも同日午後五時四〇分から血圧の低下傾向が見られ、点滴輸液によって一旦は回復したが翌一七日午前六時には明らかに高度な血圧低下が見られたこと、遅くとも一六日午後五時五五分以降」に改め、同九行目の末尾に「、前記認定の一一日から一六日までの白血球数及び白血球像の経時的な変化並びに一七日の午前四時及びその後の白血球に関する検査結果では、白血球数が再び著しく増大し、最終的には二万を超え、核の左方移動がありながら相対的にリンパ球優位となったことからすると、炎症の一層の激化が窺われること(乙四九参照)」を加え、同末行の「これらの」を「本件では、甲野医師が誠也の治療中に敗血症を疑いながら血液、尿、浸出液等の細菌検査を一切していないため、細菌の存在を直接裏付ける資料はないものの、前記のとおり、手術時には誠也は既に菌血症の状態であったと認められること、前記の医学文献の記載並びに右」に改め、同行の末尾に「一六日の午後四時ないし五時四〇分頃から少なくとも敗血症性ショックの前駆段階にあり、同日の午後一二時頃には敗血症性ショックの状態となって、」を加える。

二一  原判決六一頁一行目の次に改行して次を加える。

「また、控訴人は代謝反応によって血圧が低下していない段階で敗血症による中枢神経障害の症状を呈することはありえない旨主張するが、著名な頻脈によっても心拍出量の低下がもたらされ、心拍出量の低下は、脳内血流量の低下をもたらし、中枢神経障害を起こす可能性があるところ、手術後中枢神経障害の症状が出現する一六日午後一二時までは常に一五〇を超える頻脈が継続しており、二一〇を超える著しい頻脈も見られていたことからは、脳内血流量の減少が生じうる症状であったといえること、脳内血流量は血圧を脳内抵抗で除したものであるから、必ずしも血圧のみに左右されるとは認められないこと、敗血症性ショックの機序には定見がなく、その際の中枢神経障害が血圧低下による脳内血流量の低下のみによるものと認めるに足りる証拠はなく、原審鑑定の結果、原審証人乙山、同佐伯の各証言によると高熱の持続によっても脳神経障害及び意識レベルの低下は起こりうると認められること、他にも敗血症による中枢神経障害の症状をきたすものとして細菌性髄膜炎があり、カルテ上には髄膜炎の所見はない旨の記載はあるものの、腰椎穿刺による脳脊髄液の採取・検査はされておらず、項部硬直の有無等髄膜刺激症状の有無の検討についてもそれがなされた形跡が認められないので、細菌性髄膜炎の可能性も完全には否定できないこと、原審証人安永の証言ではエンドトキシン自体が脳を害する可能性を指摘しており、その可能性も完全には否定しきれないこと等からすると、被控訴人の右主張も採用できない。」

二二  原判決六一頁六行目の「の証言」を「、同乙山の各証言」に改め、同七行目の「及ぼすため、」の次に「細菌の強さ、量が患者の抵抗力を相当程度上回るときには、」を加え、六二頁五行目の「認められ」の次に「(例えば、看護記録上午後二時三〇分から高熱を発症した午後四時までの記載は一切なく、かつ、午後四時には「四肢冷感」の記載はない。)」を、同六行目の「もって」の次に「ウォームショックの発生がなかったとは断定できず、いずれにしても、」を、同一〇行目の「鑑定結果」の次に「、乙四九」をそれぞれ加え、六三頁八行目の「DICの所見が見られないこと」を「仮に、DICの所見がみられなかったとしてもそのこと」に改め、同九行目の次に改行して次を加える。

「なお、控訴人は、敗血症が進行して中枢神経障害の症状が現われるような重篤な病状に至ればDICは必ず併発するものであり、また、一般小児科外科の臨床では敗血症、敗血症性ショックの診断基準として血小板数一〇万以下で疑い、五万以下で確診するとされているので、これらの点に照らしても、本件において敗血症の発症はなかったとみるべきである旨主張する。確かに、控訴人が指摘する乙四一には重症感染症にエンドトキシンの関与するショックを来せばDICは必発であるとの文言の記載はあるが、その文章の脈略からすれば、DICの発症率が高いことから、そのような表現となったことは明らかであり、現に同書証中には重症感染症にエンドトキシンの関与するショックを来しながら血小板減少や出血傾向の認められなかった症例を登載しているのであるから、右の場合DICが一〇〇パーセント必発であるとはいえないところ、他に、血小板数減少や出血傾向がない段階の敗血症性ショックでは脳神経障害は発症しないとの医学的知見があることを証するに足りる証拠はない。また、原審証人佐伯の証言中には、控訴人主張のような血小板数による敗血症の診断基準があるとの証言部分があるが、同証人の証言によれば、それはアンケートの集計結果によるものであり、同証人もそれを絶対的な基準としている訳ではなく、同証人自身本件について敗血症の発症の可能性を認めている。したがって、控訴人の右主張は採用できない。

(五) 控訴人は、誠也は手術時に限局性腹膜炎であって敗血症に至っていなかったとして、原因巣を取り除いた上、洗浄、排膿処置等をした以上、敗血症によって手術後二八時間程度で死亡することはありえない旨主張するが、前記認定のとおり腹膜炎の程度からして手術時には既に誠也は菌血症の状態であり、白血球数及びその像の変化の経過からすると、炎症は悪化しており、敗血症の前駆段階に至っていたと認められること、その際三歳八か月の誠也の栄養状態・全身状態は悪化しており、免疫機能が低下していたと推認できることからすると、敗血症性ショックによって誠也が死亡する可能性が否定されるものではなく、控訴人の主張は採用できない。

また、控訴人は原判決が敗血症の根拠としているのは一七日午前一時ころからの中枢神経障害のみである旨も主張するが、誠也には原因菌が発生しうる病態の他、循環器障害としての四肢冷感と頻脈、当初は一過性の、後に継続した循環器障害としての低血圧、呼吸不全としての多呼吸、腎障害を窺わせる乏尿、肝障害を窺わせる検査結果、炎症の激化及びそれに伴う白血球所見等の敗血症性ショックを示唆する多くの症状及び検査結果が認められるので、控訴人の主張は採用できない。」

二三  原判決六七頁三行目の冒頭に「大多数の」を、同六行目の末尾に「直接の死因はほとんどの例で脳浮腫である。」を、七〇頁一行目の「ないこと、」の次に「ライ症侯群のほとんどの直接死因である」を、同五行目の「否定的要素が」の次に「多数」をそれぞれ加え、七一頁一行目の「こと、」から六行目の末尾の「いうべきである」までを削除し、同七行目の冒頭に「このように、」を加え、七二頁二行目の冒頭から四行目の末尾までを次に改める。

「ライ症侯群の発症及びそれが死因であることを裏付ける積極的根拠に乏しく、むしろ、それらを否定すべき要素が多数存在することからすると、ライ症侯群の発症の可能性が統計学的に低い点を度外視しても、それが誠也に発症し、その死因となったと認めることは到底できないし、誠也の死因が敗血症性ショックによるものとの前記認定を揺るがすものでもない。

(三) なお、乙四九、原審鑑定の結果、原審証人佐伯の証言には、誠也の死因として、悪性高熱症が疑わしいとする部分もある(もっとも、原審鑑定結果及び原審証人佐伯は、結論として否定している。)が、右各証拠及び甲四九ないし五二によれば、悪性高熱症は麻酔薬ないし筋弛緩剤を誘引として、典型的には麻酔開始後に頻脈、筋硬直に続いて一五分間に0.5度ないし五分に一度の体温上昇を示す疾患で、多くは術中に発症するが、一般病棟帰室後に発症するものや筋硬直を示さないものもあるとされているところ、誠也は、確かに、右の程度の体温上昇をきたしたことがあるが、術中悪性高熱症の誘引となりうるサクシニルコリン静注後39.1度まで上昇した体温が吸入麻酔を続行しているのにクーリングによって下降し、術後36.9度にまで低下していること、また、悪性高熱症で数時間で死亡する場合には、主に肺水腫、凝固障害、酸塩基平衡障害あるいは電解質平衡障害が原因となるといわれているが、誠也は発症後ほぼ一日の急激な経過で死亡しているのに、各種の検査結果によると、それらの障害が死亡に至らしめる程度にはなっていなかったことが窺えることからすると、悪性高熱症が発症し、それによって誠也が死亡したとは認め難い。」

二四  原判決七二頁五行目の「(三)」を「(四) また、」に改め、同末行の「見いだせないのであって、」の次に「敗血症による循環器障害に基づく」を加え、七三頁七行目の「(四)」を「(五)」に改める。

二五  原判決七三頁九行目の「債務不履行」を「不法行為」に改める。

二六  原判決七五頁四行目の冒頭から八行目末尾までを次に改める。

「前記認定の事実からすると、控訴人病院勤務の甲野医師は、同乙山医師の同意を得て、誠也の死因の解明という医学の研究のため、被控訴人らの同意を得ずに、誠也の死体の一部である肝細胞を採取し、標本として保存したものといえる。そして、同人らの右行為は、遺族である被控訴人らの同意がないから、死体解剖法一七条、又は一九条に反する違法な行為であり、私法上も被控訴人らの誠也に対する追悼の感情を違法に害する不法行為に他ならない。このことは肝細胞の採取の目的が死因の解明という正当な目的を有することによって左右されるものではない。

そして、前記認定のとおり、被控訴人らは当時三歳の二男である誠也を控訴人の医療過誤による不法行為によって失ったこと、その機会に控訴人側が右違法な採取、保存、検査に及んだこと、右採取行為等の態様、控訴人は本件訴訟に至るまでは右標本の採取等を被控訴人らに秘匿していたことなどの一切の事情を考慮すると、控訴人の右医療過誤、違法な標本の採取等並びにその後の対応の一連の不法行為によって、被控訴人らの被った精神的損害を慰謝するには、各三〇〇万円をもって相当と認める。」

二七  原判決七六頁二行目の「あり、」の次に「本件訴訟の難易度、経過等、被控訴人ら代理人の訴訟活動の内容等その他一切の事情を考慮すると、」を加え、同行の「二〇〇万円」を「二五〇万円」に改める。

二八  原判決七六頁四行目の「二二四四万三三六六円」を「二五九四万三三六六円」に、同五行目の「訴状送達の日の翌日である平成三年九月一九日」を「不法行為の日以降であることの明らかな平成二年一二月一七日」にそれぞれ改める。

第四  よって、控訴人の本件控訴は理由がなく、被控訴人らが附帯控訴において当審で選択的に追加した不法行為に基づく損害賠償請求は、主文第三項の限度で理由があるから、原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官海保寛 裁判官多見谷寿郎 裁判官水野有子)

別紙<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例